「一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。自制できるということは、自分をコントロールできるということだ。自分の中に巣くう欲望を自分で制御する、欲望の言いなりになったりせず、自分がちゃんと自分の行動の主人になる、ということだ」
「いまから稟議書をつくります」と誰かが大声で叫ぶ。「総務部長、文章をつくって」。総務部長らしき人物が「退避の件、……でいいでしょうか」と、つくった文案を読み上げる。その紙を回して承認をとっていく。最後に社長の清水が稟議書を承認した。 この緊急時に稟議書かよ、一部始終を見ていた寺田は愕然とした
希望と願望との違いを客観的に見る癖をつけておかなければならない。
「いまから稟議書をつくります」と誰かが大声で叫ぶ。「総務部長、文章をつくって」。総務部長らしき人物が「退避の件、……でいいでしょうか」と、つくった文案を読み上げる。その紙を回して承認をとっていく。最後に社長の清水が稟議書を承認した。 この緊急時に稟議書かよ、一部始終を見ていた寺田は愕然とした
「ごめんね。さっきのナシね」という言葉を日本人はもっともっと口にすべきであり、そう告げる人の知的誠実と勇気に適切なる評価を与えるべきだと私は思う。
「リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である」 つまり、リーダーとは旗振り役であり、メンバーの進むべき道を示すのが最大の役割なのだ。
ノースカロライナ大学の教育心理学者デール・シュンクによると、自己効力感を高めて維持していくには次の4つの条件があります。 1つ目は「自分が目標設定したこと」。 2つ目は「フィードバックがあること」。 3つ目は「進捗が管理されていること」。 4つ目は「自分のがんばりによって達成できるという意識があること」。 これらの4つの条件がそろうと、人は自分の行動をコントロールできているという感覚が持てるので、努力が維持できるといいます。
常々、坂本社長がおっしゃっている「仕組みで勝って、人で圧勝する」という言葉を改めて深く考えてみました。ここでいう「人」とは、経験、技術もさることながら、人として一人の人間として、素晴らしい人格の方だということです。
また同番組では、漢字の「幸」の起源についても触れている。かつて手に枷をはめる刑罰があり、それが転じて「幸」という字になった。なぜそれが「幸せ」なのかといえば、本当は死刑になるところを、命を落とさずにすんだからという。 「だから『幸せ』というのは前の上を見るんじゃなくて、後ろの下を見ること。望むものじゃなくて感じるもの」 つまり「幸せ」とは、今ここにない「理想」の状態を追い求めることではなく、今ここにある現状に満足することであると言うのだ。
「今日のデートコース、AコースとBコース、二種類あるけど、どっちにする?」 駅前から歩き出すと、気安い口調でゆりこに訊いた。 「AコースとBコース?」 ゆりこが首を傾げる。 「ちなみにAコースは映画食事ホテルの順番。で、Bコースは、ホテル食事映画」 ふざけた口調で、でも、真剣な顔で言った。 「どっちもホテルが入ってるじゃない」 機嫌を悪くするのではないかと心配していたのだが、なんとゆりこは「じゃあ、Aのほうで」と笑って答えた。
拉致問題にしても、自国の国民が他国に拉致されたのですから、自衛隊を出動させて奪還するというのが、普通の国の対応です。アメリカなら、きっとそうするでしょう。 それを日本は、政府が「絶対に軍事力を使わない」と明言するのですから、解決するものも解決できるはずがありません。 このままであれば、「みんな拉致されるな。拉致されても絶対取り返してもらえないのだから」と言うしかない。そして、拉致された人には、「仕方がない、交通事故みたいなものだ、あきらめてくれ」と言うしかないのです。
一方で、意外なことに、最もスキルの低い労働者は、中間的なスキルの労働者ほど需要減に悩まされていない。この動向には、労働需要の二極化現象が反映されている。 このことは、自動化に関する興味深い事実を示している。帳簿の記帳、銀行の窓口係、工場の半熟練工などの仕事は、庭師や美容師や介護ヘルパーの仕事より自動化しやすい、ということだ。
女性の心理を代弁すると、女性が男に抱き寄せられて「イヤ」と言ったあとに、、男がひるんでしまったら、それはそれでがっかりすると言う。 これは俺の実感だけど、女性の「イヤ」や「ダメ」は「NO」じゃない。イヤじゃなくて「OK」だと思ってる。本当にイヤだったら、女性は「やめて」と言う。
ゲームはつくったことがないどころか、ほとんどやったことすらない大塚は、その日からフェイスブックのゲームを遊び倒した。人気ゲームだけでなく、ヒットしていないゲームも総ざらいし、成功するゲームのエッセンスを彼なりに抽出した。そしてそのエッセンスを「全部盛り」にし、彼なりにアレンジしてまとめあげたのが、怪盗ロワイヤルだった。 それでも立ち上げ1週間前にゲーム好きの守安から大量のダメ出しをくらい、言った守安自身が1週間では到底直しきれないと断言する修正量をすべてきっちり直して立ち上げ、皆をびっくりさせた。当時怪盗ロワイヤルがあまりに面白いので、天才の仕事と言われたが、実際はド根性の秀才仕事だったのだ。
「だいたい、アスベストはさ、危険があるって言われてから、禁止になるまで何十年とかかってるんだよ。その間、みんなはこう思っていたんじゃないかな。『本当に危ないんだったら、もっと大騒ぎになっているだろうし、法律で禁止されるはずだ。そうなっていないってことは、平気なんだろうな』ってね。今は、アスベストのかわりに別の素材を使うようになっているけど、でもそれも、今後いつ、やっぱりこれも健康被害があります、と言われるか分かったものじゃないよ。公害とか食べ物の汚染、薬害とかね。何を信じたらいいかなんて、誰にも分からないよ」
崩れないという意味においては、根拠のない自信のほうが強いのです。 実績で手に入れた根拠のある自信は、実は要らないのです。
30代になれば、仕事もある程度こなせるようになるし、今までと同じようなこと、同じようなやり方をしている限りにおいては、ミスもしないし、上司から怒鳴られるようなこともないだろう。 しかし、そういった環境に安住してしまうと、小さくまとまっていき、それ以上の進歩がなくなってしまう。
時間と空間を独立に扱うことはできない 動いている物体の長さは運動方向に縮む 動いている時計の時間は遅れる 動いている物体の質量(重さ)は大きくなる 宇宙に光速を超えるものはない エネルギーと質量は等価である
「求められているもの」「不足しているもの」を見つけるにあたっては、求人広告もつかえます。定期的にチェックをしていると、「忙しくて人手がない」分野が見えてくるからです。
本田宗一郎は「創意発明をするにはどうしたらいいかとよく聞かれるが、そのような手法などない。創意発明ではなく、苦し紛れの知恵なんだ。突きあたって苦しんだときに出る知恵なんだ」と喝破している。 にもかかわらず、どうもわれわれは自分の思いを突きつめず、深く考えもせずに論理分析的に目標を定めようとしてしまいがちだ。その結果、組織には傍観者的分析屋が横行する。企業はつぶれても自分の持ち場・立場や領域だけを守っていれば責任を果たしていると思い込んでいる情けない社員も多い。結果として、オーバープランニング(計画過多)、オーバーアナリシス(分析過多)、オーバーコンプライアンス(法令順守過多)で首が回らなくなり、その課題解決のためのハウツーがさらに求められる。プラトン以来の演繹的思考法が日本企業にも根強く繁殖している。現実が理論と合致しなければ、現実がおかしいと断じて疑わないものさえ出てくる始末だ。