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電子書籍名言・引用まとめ

静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話

宇野常寛
猪子寿之
落合陽一
尾原和啓
門脇耕三
駒崎弘樹
根津孝太
吉田浩一郎

Quotes List

東京に新しいネットワーク構造をつくるのは、道路や鉄道のような物理空間におけるインフラだけではなく、もしかしたら情報空間におけるインフラなのかもしれません。

20世紀型の都市から21世紀型都市への脱皮とも言えそうです。

一つの空間的拡がりである東京が、個性あふれる小さな都市をいくつか孕んでいるというイメージは、魅力的でもあります。

文化的パッチワーク・シティが現出しつつあるというわけですね。そしてこのパッチワークは、巨視的に見れば「西側的文化圏」と「東側文化圏」からなっていて、東京は文化的二重都市として分断していくシナリオが描ける。

インターネット以降の文化状況を前提として、われわれがつくる新しい文化や社会の象徴としての湾岸都市にイメージを切り替えていく発想が必要だと思うんです。

しかしいずれにせよ、旧市街はもはや文化を担う場所ではないということです。資本投下の対象になりきってしまった都心では、新しい文化を育てるなんてリスクでしかない。

しかしいずれにせよ、旧市街はもはや文化を担う場所ではないということです。資本投下の対象

実験的な試みをしている人たちは、お金を稼げるか稼げないかの瀬戸際にいるわけで、都心と郊外のエッジに集まるという構造が見てとれます。

でも、それ自体は止めようがないのだから、僕らがやれることは、いかに新しい湾岸都市を育むかだと思うんです。

文化はあるけれど昭和の栄光にすがってインフラだけ補修して生き延びていく老いた旧市街と、新興勢力で勢いはあるけれど文化はスカスカなタワーマンションとショッピングモールの湾岸地区の新市街、の二つに東京が分かれていくでしょう。

軸足を旧住民に置くのは間違っていなかったけれど、新住民である若者の反感を減らすための施策が弱かった。

少なくとも都市型のスタジアムは、単なるスポーツ施設と考えるのではなく、都市の巨大で多様なアクティビティを裏付ける「場」であると理解したほうがよいのです。

ところが今、建築家たちが懸命に議論しているのは、たかだか単体施設の問題にすぎず、東京全体のビジョンや都市構造に関する議論がまったく行なわれていない。

しかし近代オリンピックは、ずっと都市そのものの問題でありつづけてきました。つまりオリンピックを計画するということは、その都市をいかに改造するかということとイコールなのです。

だからいざ東京でやるということになっても、僕たち日本人自身が、2020年の東京のイメージを決定的に欠いている。

もしかしたら変革のイメージというのは、救世主が劇的に現れてパーンと変わるよりは、いつの間にか良くなってるほうがいいのかもしれないと思ったんです。

インターネットやソーシャルメディアが、市民的結合を加速している。メーリングリストで情報を共有しつつ、パワーポイントのファイルをドロップボックスで共有して企画書を作成するわけで、これもインターネットがなければできなかったコラボレーションです。

でもそれでいいんです、土地と文化が守れれば。僕は、高千穂のような街に住むのは、その土地でないと生きられない人々、特に高齢者と、その土地と文化を守る仕事に従事している人だけでいいと思う。

僕は、こういう街や自治体は、正しく縮小していくべきだと思います。

街が生き残るというのは、究極的には、その土地、森や棚田、神社や夜神楽といった文化が生き残ることだと僕は考えています。

もともと日本の地方の農村に、万単位の人口を養うポテンシャルはないと思うんですよ。

自分たちでより良い仕組みを独自につくっていけば、そこから社会が変わっていくはずだ、というスタンスです。われわれは、正社員という働き方の課題に対して解決策を提示しているだけであって、正社員という働き方を否定しているわけではありません。

私たちが目指しているのもまさにそれ。自分たちでより良い仕組みを独自

人を囲うという発想自体が、今の価値観に合っていないわけですね。

労働者の権利を守るために実効的なのは、常に複数のクライアントと仕事をしている状態なのだ、と。

戦後的な雇用環境に保護されたいと考える若者が増えている。これは結局、僕たち大人のつくった社会が若者のチャレンジを支援することができずに、無難なルートを選択しないといきなり餓死してしまうゲームにしてしまったことのツケだと思うんです。

国からしてみれば、正社員という制度は非常にまっとうな選択なんです。年収を正確に捕捉できるので、確実に税収を確保できる。これはマイクロソフトにとってのウィンドウズと同じで、要はみながウィンドウズを使っているかぎり、マイクロソフトは毎年安定して収入を得られるという仕組みです。

なぜ今「シェア」という言葉が話題になるのかを考えると面白い。たとえば昔の日本のムラ社会では、何かを共有することは「シェア」なのだとは、とりたてて考えられていなかったはずです。時代が下るにつれて、消費社会化によって個人主義が普及して、そういったムラ社会的なシェア文化がいったんは否定された。それが今になって復活しているということで「消費文明が破壊してしまった人間にとっての大切なものを取り戻している」などという「いい話」に回収されてしまいがちなんだけど、僕はそういう解釈は本質的ではないと思うんです。「シェア」というものを、アンチ資本主義の文脈で、文化左翼的な話として消費するのは少し違うんじゃないか。

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