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電子書籍名言・引用まとめ

「ごめんね。さっきのナシね」という言葉を日本人はもっともっと口にすべきであり、そう告げる人の知的誠実と勇気に適切なる評価を与えるべきだと私は思う。

疲れすぎて眠れぬ夜のために 角川文庫

内田 樹

Quotes List

自分の可能性を最大化するためには、自分の可能性には限界があるということを知っておく必要があります。

この「へらへらと質の高い仕事をする」ためのノウハウを知っているか知らないかという違いが、同じような社会的プレッシャーを受けながら耐えられる人と潰れる人の違いを生み出しているのではないかとぼくは思います。

人は夢と現実を同時に生きなければなりません。この匙加減がとても難しいのです。

不愉快な人間関係に耐えていると、生命エネルギーがどんどん枯渇してゆきます。それがぼくには確かに感じられる。だから、学生たちにも、不愉快な人間関係には我慢しない方がいいよということをつねづね教え聞かせて

やがて「耐える」ということが自己目的化し、「耐える」ことのうちに自己の存在証明が凝縮されてしまったような人間ができ上がります。  世に言う「中年のオヤジ」というのは、この「耐えること」が劇的に人格化されたものだ、といってよいでしょう。

子どもがまず「礼儀正しく」ということを教え込まれるのは、子どもからすると、世の中のほとんどの人間が「権力を持ってる人間」だからです。「子どもである」というのは、まわりのほとんどすべての人間によって傷つけられる可能性があるということです。それくらいに「子どもである」というのはリスキーな状況なのです。だからこそ、子どもに向かって「礼儀正しくしなさい」と教えるのです。「君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ」と。

「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的ダメージの中でももっとも破壊的なものの一つです。できるだけすみやかにそのような関係からは逃れることが必須です。

「耐える」人の場合は、「耐えること」が自己の中心にあります。それ以外のすべては「耐える」ことのために動員されます。時間も、エネルギーも、愛情も、論理的思考力も、想像力も……人間的資源の洗いざらいが「耐える」ことに蕩尽されます

ぼくが「自立しろ」ということを学生にがみがみ言うのは、一人で暮らした方が気楽であるとか、誰にも依存しない生き方は素晴らしいとか、そんな薄っぺらなことを言いたいからではありません。そうではなくて、自立できる人間、孤独に耐えられる人間しか、温かい家庭、親しみのあふれる家庭を構築することができないと思っているからです。一人でいることのできる人間だけが、他者がかたわらにあるときの温もりに、深い感謝と敬意を抱くことができるのです。 逆説的なことですが、「温かい家庭を構成できる人間」とは「一人でいることに耐えられる人間」のことです。「自分のために家族は何をしてくれるのか」ではなく、「家族のために自分は何をしてあげられるのか」ということを優先的に配慮するような人間のことです。

ぼくたち全員がそれぞれの「オリジナルな欲望」に従って好き勝手に生きたら、全員がユニークな人格形成を成し遂げた、というのが社会のあり方としてはおそらく理想でしょう。しかし、現実にはそうなりません。「オリジナルな欲望」というものが存在しないからです。ぼくたちは誰かの欲望を模倣し、誰かに自分の欲望を模倣されるというかたちでしかコミュニケーションを立ち上げることができないからです。

反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。

愛情をずいぶん乱暴にこき使う人がいます。相手が自分のことをどれほど愛しているのか知ろうとして、愛情を「試す」人がいます。無理難題をふきかけたり、傷つけたり、裏切ったり……さまざまな「試練」を愛情に与えて、それを生き延びたら、それが「ほんとうの愛情」だ、というようなことを考える。  でも、これは間違ってますよ。愛情は「試す」ものではありません。「育てる」ものです。

「ごめんね。さっきのナシね」という言葉を日本人はもっともっと口にすべきであり、そう告げる人の知的誠実と勇気に適切なる評価を与えるべきだと私は思う。

家紋は、背中に背負う家格の象徴です。気安く触られたり泥をつけられてはいけない、非常にたいせつなものを背中の真ん中に背負っていたわけです。人間が身につけている一番たいせつなものは、「自分では見ることができず、他人から見られるだけの部位」に貼り付けられていたのです。

それが西部劇である、というのがぼくの解釈です。  女なんてろくなもんじゃない、男同士の友情が一番大事なんだ、女が選ぶ男は、ろくな男じゃない。女はいつも「間違った男」を選ぶ。ほんとうの男は、女に選ばれることなく死んでゆく、というのがハリウッド西部劇が選んだストーリーラインだったのです。

「個性的である」というのは、ある意味で、とてもきついことです。誰からも承認されないし、誰からも尊敬されないし、誰からも愛されない。そのことを覚悟した人間だけが「個性的であること」に賭金を置けるのですから。

簡単に「幸せ」になれる人間というのは、なんだか薄っぺらで、バカにされそうですけれど、ぼくは「すぐに幸せになれる」というのは一種の能力だと思います。

「らしさ」や「節度」や「品」というのは、別に制度上の虚飾や虚礼ではなく、自己防衛のための知恵なのです。

「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的ダメージの中でももっとも破壊的なものの一つです。できるだけすみやかにそのような関係からは逃れることが必須です。

ぼくが「自立しろ」ということを学生にがみがみ言うのは、一人で暮らした方が気楽であるとか、誰にも依存しない生き方は素晴らしいとか、そんな薄っぺらなことを言いたいからではありません。そうではなくて、自立できる人間、孤独に耐えられる人間しか、温かい家庭、親しみのあふれる家庭を構築することができないと思っているからです。一人でいることのできる人間だけが、他者がかたわらにあるときの温もりに、深い感謝と敬意を抱くことができるのです。  逆説的なことですが、「温かい家庭を構成できる人間」とは「一人でいることに耐えられる人間」のことです。「自分のために家族は何をしてくれるのか」ではなく、「家族のために自分は何をしてあげられるのか」ということを優先的に配慮するような人間のことです。

愛情をずいぶん乱暴にこき使う人がいます。相手が自分のことをどれほど愛しているのか知ろうとして、愛情を「試す」人がいます。無理難題をふきかけたり、傷つけたり、裏切ったりさまざまな「試練」を愛情に与えて、それを生き延びたら、それが「ほんとうの愛情」だ、というようなことを考える。  でも、これは間違ってますよ。愛情は「試す」ものではありません。「育てる」ものです。

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