転んでも 「七転び八起き」ということわざがある。何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。 人生は長い。世の中はひろい。だから失敗もする。悲観もする。そんなとき、このことわざはありがたい。 だが、七度転んでも八度目に起きればよい、などと呑気に考えるならば、これはいささか愚である。 一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。一度で気のつく人間になりたい。 そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。このことわざは、意地きたないことの代名詞のように使われているが、先哲諸聖の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。 転んでもただ起きなかったのである。意地きたないのではない。真剣だったのである。 失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい。真剣ならば、たとえ失敗しても、ただは起きぬだけの充分な心がまえができてくる。 おたがいに「転んでもただ起きぬ」よう真剣になりたいものである